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オリジナル小説&エッセイ


by 1000megumi
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桜幻 10



 三秒チェックを済ませた春乃は、上品に微笑んだ。
「桜城春乃と申します。母が大変お世話になっております。アポイントもなしに伺って、ご迷惑と思いますが、少しお話を伺いたくて――私にはとても重要なことですから、本日参りました」
「そうですか。まぁ、コーヒーでもどうぞ」
「いただきます」
 コーヒーは好きではないが、勧められたのでとりあえず春乃は飲むことにした。
 一口飲んで、不味いっ! と、春乃は言いそうになったが、にっこり笑って誤魔化した。
 これは春乃の癖である。にこやかに対応しているときほど、腹の中では物騒なことを考えている。
(コーヒーより紅茶よね。娘の好みくらい調べておけッてんだよ)
 父親と認めていないのに、勝手な言い分である。
「陸海社長、華櫻のことですが…。水ノ宮学園に吸収合併されるという形でなくなると聞きまして、私にはそのやり方が納得できないのです」
「学校側は何と言っているのかね?」
 陸海の質問に春乃は答えず微笑んでいた。
 微笑んでいるが、目は剣呑な輝きを含んでいた。
 目を伏せた春乃は次の瞬間、カッと見開いた。春乃のその目は輝きを増している。
 知らず知らずに、陸海はそれに圧倒された。
 春乃はもう一度目を伏せてから、陸海を見つめる。同じ微笑を湛えながら、陸海を見つめていた。
「説明してください」
「何を?」
「なぜ、華櫻なのかと…」
「あぁ、それはね。あの土地に価値があるからだ」
「あら? 不思議なことおっしゃいますのね。幾重にも抵当権が掛けられているのにですか? 抵当がない状態でもあの土地を売っても、借金は返せないとうのに…。マイナスだらけですよ。それでも価値があると?」
 この少女は何を言いに来たのだろうか。
 陸海は不思議に思った。
 このことで華櫻の負債はなくなるというのに何が不満なのか。手放すものといったら、華櫻の救いようのない看板とオンボロ校舎と荒れ果てた土地だけで、ありがたい話ではないのか。
「華櫻の桜は綺麗だね。桜は日本人の心だ。値がつけられないと思うよ。君は思わないかい?」
「思いますわ。私は華櫻の桜に心奪われている一人ですもの。でも、疑問に思いますの。なぜ、来年度の四月から華櫻の生徒を水ノ宮に通わせるのか…。今の一年が卒業するまで待てばよろしいんじゃなくて? 何もわざわざ、水ノ宮の評判を落とすようなことなさらなくてもいいと思います。負債も悪評も、華櫻の桜と引き換えにしてもいいとおっしゃるのですか?」
 陸海は緊張した。
 玩具を取り上げられた子供が返してと駄々をこねているようなものと思っていたのだ。それが、今になって違うことに気が付いた。
 子供だと思っていると、足元をすくわれる。
「思うよ。先程言ったはずだ。値がつけられないと…」
「確かに言いましたね。値がつけられないと…。陸海社長――」
 陸海は大人の貫禄というか、社長を務めているだけあって落ち着いている。しかし、見るものが見ればわかるだろう。けして、そうではないことを…。
 そして、陸海と対照的に落ち着き払っている春乃に…。
 春乃はにっこり笑って、しかし、目だけは笑わずに突き刺す視線を陸海に向けた。
「急ぎ過ぎではありませんか? 華櫻と契約を済ませれば、何も心配するようなことはないと思いますが」
 意味深な視線で陸海を見つめていた春乃は、するりと立ち上がり窓へ歩み寄った。
「貴方は、華櫻の桜は綺麗と言いました。下手に華櫻に手を入れると、華櫻の桜の美しさが損なわれるかもしれません。それに――急ぐと災難に遭うかもしれません」
 春乃の預言者のように確信に満ちた言葉に、陸海は何かが引っ掛かった。
 何かがおかしい。
 彼女は何を考えているのだろか?
 わからない。わからないけどわかる。華櫻を奪うなと言っていることはわかる。
 でも、だから、どうだというのだ。そこまでわかっているなら、華櫻の権限が私の手の中にあるのもわかるはずだ。
 違う。惑わされるな。それはた単なる時間稼ぎにしか過ぎないのだから。
 時間稼ぎして、どうするつもりだ。華櫻はもう私のモノだというのに…。



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by 1000megumi | 2005-08-13 16:30 | 小説 桜幻(完結)