悪女 3
2010年 04月 08日
綺湖が取調べを始めて五日目。
奈津美は泣いた。
青ざめ、振るえ、恐怖に慄き、泣いた。
八日目。
奈津美は罵った。
激情に身をまかせ、般若のごとき形相で、理不尽に怒り、罵った。
話す奈津美もつらかったが、聞いている綺湖たちもつらかった。仕事とはいえ、つらかった。
ただ、話し終えた奈津美が。
「ちょっと、すっきりした。ちょっとだけだけど……」
その言葉が、綺湖たちにとって、救いだった。
奈津美の心をこじ開けたことは、無駄ではなかったと、思えたから。
その後は、処理の仕方で揉めた。
強姦されたことをどう考慮するか。
奈津美はそのことで裁判を起こすことも可能であり、殺人事件の裁判でも持ち出される可能性もある。奈津美が伏せておきたいというなら状況も変わってくる。
検事の人柄によってまた、状況も変わるだろう。
綺湖は奈津美の担当から外れた。
奈津美のことは刺さった棘のように、綺湖の心を痛めた。
彼女に何をしてあげられるだろうか。
現実には何もしてあげられない。それくらい、わかっていた。
だけど、綺湖は何かしたかった。
だから、奈津美をレイプした犯人を捜し続けた。ただの自己満足に過ぎないとわかっていても。
「綺湖」
警視庁で綺湖を名前で呼び捨てにする人の数は少ない。父兄及び親戚、数名ほどしかいない。
「何ですか? 修一兄さん」
兄さんと呼んだが兄ではなく、十三も年上の従兄だ。強面の四課の課長である。
手招きに応じて四課に入ると、修一を含めて三人しかいなかった。
修一は椅子に座ると、膝の上に綺湖を座らせた。
ジロジロ眺めた後、呟いた。
「うーん。いつ見ても美人だな」
身内の贔屓目を差し引いても、綺湖は美人だった。こぢんまりとした顔は人形のように愛らしいく整っており、肌は色白できめ細かく、髪は黒々と輝いている。
実年齢より若く見られるが、捜査上それは軽んじられることが多く難点だ。
「セクハラですよ」
「イトコでもか?」
「父でも兄でも、職場でも家でも」
「怖いな……」
「四課の刑事が?」
「四課の刑事でも」
「父が? 兄が? それともセクハラで訴えられるのが?」
「可愛い小悪魔が」
「それは、誰のことですか?」
「俺の目の前にいる……」
綺湖は睨みつけだが、修一はヘラヘラ笑っていた。それは四課の強面には見えず、スケベ親父そのものだ。
「……用件を、伺いましょうか」
「うん? ああ、何を嗅ぎまわっている? 只見課長は知っているのか?」
綺湖は考えるフリをした。
「四課の領域に踏み込むような事件にはかかわっていませんが?」
「アビー。あの店は麻取も張り付いているぞ」
知っていたのか? 問われて、答えずに考えていた。
四課の刑事全員を覚えてはいなかったが、そんな感じのする人がいたのは確かだ。それ以外に判断のつかない人がいた。たぶんその人が麻薬取締官なのだろう。
「二度と行くな」
「仕事の邪魔はしませんよ。プライベートですから……」
「そうじゃなくて……」
困ったように修一は唸り、じっと綺湖を見つめた。ヤクザも怖がる、抉るような視線で。
しかし、綺湖には通用しない。長年の付き合いのせいか。
理由もわからずに引く気がないことを見取ると、修一は盛大にため息をついた。
「カウンターに座っていた男、話しかけてきたほうじゃない。その男、覚えているか?」
「ええ、三十前後……」
「富樫組の準幹部だ。綺湖に興味持ったようでな、だから、近づかないで欲しい」
「私は話しかけてきた男の方に用があるのです。他の男にではありません」
「そいつは、子飼いだ。長谷川が絡んでくる」
その男は長谷川というのか……、使えるかもしれない。
綺湖は修一のミスを有難く思った。
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目次
奈津美は泣いた。
青ざめ、振るえ、恐怖に慄き、泣いた。
八日目。
奈津美は罵った。
激情に身をまかせ、般若のごとき形相で、理不尽に怒り、罵った。
話す奈津美もつらかったが、聞いている綺湖たちもつらかった。仕事とはいえ、つらかった。
ただ、話し終えた奈津美が。
「ちょっと、すっきりした。ちょっとだけだけど……」
その言葉が、綺湖たちにとって、救いだった。
奈津美の心をこじ開けたことは、無駄ではなかったと、思えたから。
その後は、処理の仕方で揉めた。
強姦されたことをどう考慮するか。
奈津美はそのことで裁判を起こすことも可能であり、殺人事件の裁判でも持ち出される可能性もある。奈津美が伏せておきたいというなら状況も変わってくる。
検事の人柄によってまた、状況も変わるだろう。
綺湖は奈津美の担当から外れた。
奈津美のことは刺さった棘のように、綺湖の心を痛めた。
彼女に何をしてあげられるだろうか。
現実には何もしてあげられない。それくらい、わかっていた。
だけど、綺湖は何かしたかった。
だから、奈津美をレイプした犯人を捜し続けた。ただの自己満足に過ぎないとわかっていても。
「綺湖」
警視庁で綺湖を名前で呼び捨てにする人の数は少ない。父兄及び親戚、数名ほどしかいない。
「何ですか? 修一兄さん」
兄さんと呼んだが兄ではなく、十三も年上の従兄だ。強面の四課の課長である。
手招きに応じて四課に入ると、修一を含めて三人しかいなかった。
修一は椅子に座ると、膝の上に綺湖を座らせた。
ジロジロ眺めた後、呟いた。
「うーん。いつ見ても美人だな」
身内の贔屓目を差し引いても、綺湖は美人だった。こぢんまりとした顔は人形のように愛らしいく整っており、肌は色白できめ細かく、髪は黒々と輝いている。
実年齢より若く見られるが、捜査上それは軽んじられることが多く難点だ。
「セクハラですよ」
「イトコでもか?」
「父でも兄でも、職場でも家でも」
「怖いな……」
「四課の刑事が?」
「四課の刑事でも」
「父が? 兄が? それともセクハラで訴えられるのが?」
「可愛い小悪魔が」
「それは、誰のことですか?」
「俺の目の前にいる……」
綺湖は睨みつけだが、修一はヘラヘラ笑っていた。それは四課の強面には見えず、スケベ親父そのものだ。
「……用件を、伺いましょうか」
「うん? ああ、何を嗅ぎまわっている? 只見課長は知っているのか?」
綺湖は考えるフリをした。
「四課の領域に踏み込むような事件にはかかわっていませんが?」
「アビー。あの店は麻取も張り付いているぞ」
知っていたのか? 問われて、答えずに考えていた。
四課の刑事全員を覚えてはいなかったが、そんな感じのする人がいたのは確かだ。それ以外に判断のつかない人がいた。たぶんその人が麻薬取締官なのだろう。
「二度と行くな」
「仕事の邪魔はしませんよ。プライベートですから……」
「そうじゃなくて……」
困ったように修一は唸り、じっと綺湖を見つめた。ヤクザも怖がる、抉るような視線で。
しかし、綺湖には通用しない。長年の付き合いのせいか。
理由もわからずに引く気がないことを見取ると、修一は盛大にため息をついた。
「カウンターに座っていた男、話しかけてきたほうじゃない。その男、覚えているか?」
「ええ、三十前後……」
「富樫組の準幹部だ。綺湖に興味持ったようでな、だから、近づかないで欲しい」
「私は話しかけてきた男の方に用があるのです。他の男にではありません」
「そいつは、子飼いだ。長谷川が絡んでくる」
その男は長谷川というのか……、使えるかもしれない。
綺湖は修一のミスを有難く思った。
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by 1000megumi
| 2010-04-08 08:43
| 小説 悪女(連載中)